ジェームズ
こんにちは皆さん、
今週、ウルグアイの教育について書きます。ウルグアイの教育は面白い歴史を持っています。1973年6月27日にクーデターがありました。このクーデターは教育制度を変えました。まず、クーデターが起こる前から話を始めましょう。
1877年にホセペドロバレラは最初の教育制度を作りました。この制度はフランスのに基づいたもので、小学校、中学校、大学という三つの部分から成り立っていました。三つの部分は最初一つになっていたが、1950年代後半に互いに独立し、それぞれ各自の予算や管理システムを持っていました。1960年代後半には、戦後のインフレや失業に伴い、政治に不安がありました。人々は政府に不満を感じ、学生たちは抗議運動を繰り返しました。暴動さえありました。1973年には教育機関における政治的な粛清が行われ、ついにクーデターが起きました。
クーデターの後、教育制度には多くの変化がありました。ウルグアイの政府は、教育の三つの部分を一つに纏め、別々に予算を与えることも取りやめました。カリキュラムは再編され、教師養成にも新しい方法が取り入れられました。これらは良いことのように聞こえますが、しかし国の政治状況は非常に悪かったです。教育にもたくさんの困難がありました。多くの学生は学校をやめました。1985年に軍事政権が終了しました。
今、ウルグアイでは教育制度が改善されました。入学率はほぼ100パーセントです。識字率は高いですが、農村部はちょっと低いです。教師の質は高いです。ウルグアイで教師は非常に尊敬される職業で、収入も他に較べて高い水準を保っています。しかし問題もあります。都市部の学校では定員がオーバーし、農村部の学校には十分な予算がありません。政府は「Plan Ceibal」を制定しました。四年間で政府は学生と教師に45万台のパソコンを配布しました。インターネットも無償で提供されています。これは非常に成功しています。「Plan Ciebal」は国際的な賞を与えられています。ウルグアイの教育制度の未来は明るいです。
読んでくれてありがとございました。
ウルグアイにはJuan Carlos Onetti、Felisberto Hernándezなどの有名な作家がいます。彼らの作品を紹介してくれると、うれしいです。
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