2015年4月5日日曜日

醜い喧嘩

JP

みなさんは、スポーツを見る時、どのような感情をもつのでしょうか。私には、素早く動くバスケから選手の気持ちをはっきりと感じることができます。まるでハイペースのドラマを見ているようなものです。スポーツは人間を集めます。選手の努力は尊敬に当たります。それはスポーツの魅力です。一方では、スポーツにはもう一つの顔があります。醜いものですが、いちど触れておかなければなりません。それはスポーツでの喧嘩です。私の選んだテーマは「バスケの魅力」ですが、コートでの喧嘩は魅力にほど遠いです。これまでバスケの良いことばかり書いてきたのですが、今回はそれと違う敏感なトピックを書いてみたいと思います。

まず断っておきますが、この喧嘩は主にNBAでのものです。確かに他のバスケットボールリーグにも似たことがありますが、やはりNBAのことはみなさんがよく知っているでしょう。

ViewAttachment (2)まず、1990年代から、NBAはヒップホップの文化に同調することで繰り返し批判されてきました。このヒップホップの文化では、とりわけラッパの影響が大きいです。ラッパの歌手は、たいていジャージを着ているから、人々はその真似をしました。そこでNBAのゲームも同じ影響を受けました。このことは、黒人のファンの中ではさほど問題にされていませんでしたが、多くの白人のファンからは反対されました。黒人のファンはあまり文句がありません。1998年前後、NBAのテレビ視聴率は大幅に下がりました。その原因には人種問題も関わったかもしれません。

これに関して、ある実例を紹介したいです。ペイサーズとピストンはNBAのチームです。2006年に、選手の間の喧嘩がありました。ゲームが最後になって、一人のペイサーズの選手が相手の選手に暴力を振るいました。ピストンの選手は怒り、ペイサーズの選手を押し倒しました。二人はぶつかり合い、コーチとレフリーがさっそくそれを止めました。ペイサーズの選手がレフリーの判断を待っている間に、一人のファンがかれに目掛けてボトルを投げました。同じ選手は殴り返し、他の選手も加わり、選手とファンとの喧嘩となってしまいました。その間にゲームの結果が発表されました。コートのいる選手全員が出場停止の処分を受けました。この喧嘩の様子はすべてスポーツニュースで中継されました。新聞のコラムニストは、NBAのジャージがまるで暴力団の色になったと書きました。さらにチームの中で白人と黒人との間に深い溝があることも指摘されました。詳しいことは、ここで見ることが出来ます。

人種差別のことは、今でも大きな問題です。昔よりだいぶよくなりましたがが、しかしもっと微妙な形で現われています。その喧嘩には誰かが責任を負わなければなりません。しかし、はたして誰の責任でしょうか。人種差別は難しいテーマです。みなさんは、スポーツでの喧嘩をどう思いますか。そして喧嘩の深い理由は何でしょうか。人種差別のことと関係がありますか。それとも、ほかのことに理由があるのでしょうか。

2 件のコメント:

  1. スポーツでのゲーム以外の喧嘩は悪いことと思います。逆にスポーツの関係ある喧嘩はいいことと思います。なぜなら、選手はファンを盛り上げますから。競合関係は楽しくて面白くなると思います。でも、人種差別は限界です。人の技能とスポーツに関係がありませんから。

    返信削除
  2. かなり深刻なテーマだな。ぼくなら、どんなタイプの喧嘩でもよくないと思う。私たちの唯一の居場所の地球を手に入れるために何か企んでいる宇宙人がいるかもしれないから、喧嘩なんかする場合はない。映画を見過ぎた。

    返信削除