ジェシカ
私にとって、上海は故郷だ。上海には私の家族、おなじみの方言、食べ物と子供の時の思い出がある。世界にとって、上海はたくさんの要素が交錯する街である。さまざまな背景を持つ人々のインターセクションだ。
上海を最も代表するシンボルは外灘、英語で「バンド」と呼ばれる河岸地帯である。黄浦江は上海を浦東と浦西という二つの区域に分けた。「外灘」は、「外国人の河岸」との意味がある。ここは19世紀末から20世紀前半にかけて、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、オランダ、ベルギーといった世界列強の国々の銀行や、イギリスやロシアの領事館、新聞社として使われた。租界時代の時、市政府もこの場所にあった。現地人は今その番地によって、例えば「外灘1号」のように呼んでいる。今は、主に銀行である。中でもとくに有名な建物は和平飯店、「外灘19号」「外灘20号」である。これらの建物は古く、レトロっぽい雰囲気を残している。
中国現代文学において、上海はよく「十里洋场」と呼ばれる。洋场は租界です。清末から外国人が中国の都市(特別に上海)で豪華な建物を建て、当時は貶した言い方だった。でも今は「十里洋场」と言って、前世紀の繁華した上海に敬意を表するものである。
租界の開発により、その中心には近代的な町並みが形成されて、上海ならではのイメージが出来上がった。それから、改革開放で外来資本の力を借りて、現代的な街となった。でも上海に住む人々は、昔から狭い土地で暮らしてきた。今でもその生活ぶりをちょっと裏の路地に入ると見ることが出来る.
毎回上海に戻って、訪れる時、いろいろ考えさせられる。上を見あげると、浦東新区の世界一番高い建てものがあり、周りを見れば、浦西の狭い家に住んでいる上海の人々がいる。上海は微妙なところだ。
写真は、2012年夏、ある日の午前七時のバンド。時計があるは海関大楼です。
今中国語を勉強しているから、中国に行きたい。
返信削除私は北京に行ったことがあるが、あまり好きじゃなかった。人々は煩くて失礼で怖かった。でも上海の人々はもっとやわらかいと聞いた。本当ですか?
とりあえず、上海に行ってみたい!
ポーリナより