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皆さん、「LGBTQ+とは成人の話題だ」という考えをどう思いますか。
確かにセクシュアルのことは大人の話です。でも、なぜLGBTQ+に関わる映画は子供にはだめだと考えられるのでしょうか。異性愛は子供向けの映画によく出ていて、誰も批判はしません。その理由は、異性愛が普通だからでしょうか。子供の頃から異性愛に触れていれば、大人になったら異性愛が当たり前だという考え方です。これは異性愛規範(ヘテロノーマティヴィティ)の一例です。
子供向けではなく、家族間でも異性愛規範は見られます。家族は、通常父親と母親(そして子供)で構成されており、ヘテロの関係の最もよくある例とされます。出産や子育てのためには、異性愛者が必要だとも思われます。しかし、社会には一般的に異性愛者が多く、生出率の役に立っていると言っても、それが自然なわけではありません 。つまり、異性愛は人間性じゃなくて、社会の規範です。
異性愛規範に対し、異性愛主義もあります。規範と主義の違いは、前者は「社会には当たり前だと思われている」こと、後者は「それは当然のことなので社会が正しい行動を勧めるようにする」ということです。このため、異性愛主義の方がLGBTQ+の人に対して危険をもたらします。例えば、私がフィリピンで高校に通っていた時、同性愛の関係は罰せられることを知りました。私の高校はカトリックだったので、同性愛は大罪扱いにされます。罰則は本当に怖かったです。学校成績だけではなく、無理にカミングアウトさせて、死んでから地獄に落ちると脅かされます。幸い私は罰せられませんでしたが、高校時代からずっと恐れて生活し続けてきました。高校を卒業して、カナダに引っ越してよかったです。
カナダの社会の方が日本よりもう少しLGBTQ+の人を受け入れていますが、異性愛規範はカナダでも強い影響を持っています。カナダで生まれ育った親友は、地元では異性愛規範の影響が強くて、クイアとしてずっと寂しく生きづらい暮らしをしていたらしいです。日本人も同じようなところがあるそうです。日本の大学の雑誌では、小学校3年生の時のことを答えるインタービューがありました。「あなたの初恋は」と聞かれて、「一回男の人が好きになってみようとしましたが、全然ダメでした。」との答えがありました。異性愛者なら、答えは当然違います。「一回同性の人が好きになってみよう」とは思いも寄らないことでしょう。ですから、ノンケのライフスタイルは楽です。余計な悩みがありません。
LGBTQ+の人として、ヘテロの人と敵対するのではなく、仲良くしたいです。ヘテロの仲間を「アライ」と呼んでいます。だいたいアライはLGBTQ+のアイデンティティを隠している人ですが、ヘテロでもそう呼ばれます。
カタカナの「アライ」って聞いたことがなかったんですが、調べてみるとけっこう日本語でも使われているみたいですね。勉強になりました。たとえばこちらは忍者で有名な伊賀市の取り組みです。https://www.city.iga.lg.jp/0000000914.html
返信削除「LGBTQ+とは成人の話題だ」という考えはどうでもいいと思います。というのは、LGBTQ+の問題じゃなくて、ただのセクシュアリティ問題です。Michelle Foucaultの研究によると「セクシュアリティの観念はいつまでもあったことだ」という考え方は大きいな勘違いです。今のセクシュアリティについてよく話している、考える社会はそんなに古くないです。この言述は18世紀増えてきました。変な言い方だけど、つまり, セクシュアリティはそんなに本質的なものじゃないだろうか。子供に対しても、大人に対しても、セクシュアリティ以外の無数な面白いことがあるでしょうね。それを言っても、LGBTQ+とかqueer studiesなどの話題はとても面白いだと思います。
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