俳句は、他の詩に比べるとかなり短いという点で有名です。詩人はこのルールに絞られるので、何を書きたくても、どういう感情を伝えたくても「五七五(ごしちご)」の形を維持しながら、様々な規則に従わなければなりません。
他にもとても重要な要素や注意点などがあります。
―切れ字(必須)
―季語(必須)
―感情を表す形容詞(「嬉しい」「幸せ」「うつ」など)を使うことなく、比喩でオリジナルな言い方で気持ちを表すこと。例えば「淋しい」と言わずに淋しさを表すには、「この道や行く人なしに秋の暮」(松尾芭蕉)の名句があります。
もちろんもっと詳しく、細かなことがあるのですが、上記のことは肝心です。
俳句は少ない言葉で構成されていて、形容詞を使わなくても読者の心に響く綺麗なシーンを思い浮かばせます。実際の俳句を読んで分析していきましょう!
「古池や蛙飛びこむ水の音」(松尾芭蕉)
松尾芭蕉は史上最も有名な俳諧師の一人です。三重出身、江戸時代前期に活躍しました。この俳句にはすべての要点が揃っていて、綺麗さも伝わり、俳句に含めなければならない語もきちんと使っているので初心者にも経験者にも向いています。
―切れは「小池や」の直後です。下の句の場所を特定し、読者にその場所を想像させて引き込ませて、実際に見ているように感じさせます。しかし具体的に池の色、温度、天気、感情は一切含めていません。
―季語は「蛙(かわず)」。春が来ると野原に水が張られて蛙が元気に鳴り始めるので、「春」を連想させる生きものです。「古池」のシーンに少し関わるのでしょう。水が少しずつ張られていて、久しぶりに沢山の鳥や虫の声が鳴り響いて花が咲き始めるイメージがしますよね。一つの字だけですでに背景がうまく描かれています。
―形容詞は一つも入っていないでしょう。「古池」に「古」が入っているので昔からある池を指しますが、別に感情が入っていないので許されると思います。
現代語にして、読みやすくしましょう。
「古い池で(切れ)
蛙が飛びこんで水の音が立つ」
美しさというのは人それぞれですが、日本人からみると、シンプルで平和的なシーンを描く詩が極めて美しいです。静かな池で、その静けさが蛙に一瞬破られてしまうことを英語にすれば綺麗さが伝わらないかもしれませんが、日本での芸術、詩歌などは、ずっとシンプルで余計に飾られなくて、本当に必要な言葉だけで意味を伝えます。自然を大切にする人たちなので静けさも、儚い音も、また静かになることも美しいでしょう。
話しを少し戻します。私が伝えたいのは日本人の美意識などでなく、俳句にはそれぞれの言葉が強い意味を秘めているということです。17音節で簡単な言葉を使って説明することはもとより、読む人をその歌に引き込ませることも難しいですね。芭蕉のような偉人たちは西洋の詩人とは違って長く書かずにわかりやすくて短い言葉で感情を伝えられたので、すごいじゃないですか。
読んでみて、どう感じましたか。さみしくなりましたか。もしくは簡素なシーンを想像しながら静けさ、春の池の温かさを感じたのでしょうか。
ねぇ、蘇誕さん。読んでみたよ。心は死にたいほど痛かった。涙があふれた。辛かった。全く漢字の読み方は知らないで、一文字でも読めなかった。試した後で、一郎さんが言ったことは思い出した:「少し前のことになるが、私は或る評論家がインターネットのウェブサイト上に、八坂神社の前にコンヴィニエンス・ストアが出来たことは怪しからんと憤慨しながら書いてるのを読んで、乱暴な口調の割には何事に於いても紋切型の浅薄さで、一向に核心触れないのが常のこの人らしい話だと若笑したことがある。」もちろん全然関係ないだ。また明日よ!
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