2017年3月14日火曜日

感情と理性

円環の理

「ドラマとは退屈な場面がカットされた人生である。」(アルフレッド・ヒッチコック)

こんにちは、皆さん。

先週は、ラブライブを例に理想化の哲学を話しました。このテーマは面白くて、まだまだ書きたいことがありますから、今週は、ロマンと理想化です。メロドラマチックなアニメの構想について検討します。

皆さんは「千年女優」というアニメを見たことがありますか。実は、私も最近になってはじめて見ました。このアニメの主人公千代子は若い頃、ある男に出会いました。警察に追われるこの男を千代子が守りました。男は千代子と離れたとき、鍵を手渡して、「また会えたら、この鍵を返します」と言いました。千代子はこの鍵を大事し、何処へ行っても身を離さずに持っていました。男は警察から逃れ、ついに名前も住所も分かりませんでした。千代子はこの男を世界中で探しました。映画女優となって成功した千代子はいつも恋する少女を演じていました。この男を思う気持ちは千代子の演技の支えでした。千代子は一生をかけてこの男を待っていました。しかし、男は死にました。このアニメの一番面白いところは、現実と映画との区別が簡単に付けられないことです。それは千代子の演技なのか、それとも本当の出来事なのか、よく分かりません。アニメの最後、千代子は70歳のおばあさんになりました。男が見つかることは不可能になったのに、あきらめませんでした。

人間が好きなものは、自分の願いそのものであり、願いの対象ではありません。これこそ千代子の気持ちです。千代子にとって、男が見つかるかどうかよりも、見つけ出そうとする旅を楽しんでいました。メロドラマは人によって魅力が違います。これが嫌いな人も多いでしょう。でも、私はメロドラマが好きです。これには理由が必要ではなく、自分の感情がすべてです。感情自身に意義があります。人間の人生はまるで旅です。この旅は自分にとって有意義なら充分です。人間と他の動物との違いは複雑な感情が感じられることです。論理的な機械ではありませんから、人生の最後の目標を計画しないで、人生の意味を感じ取ってください。これこそロマンティックな人生です。

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