2017年2月14日火曜日

わたしにとって、あなたは世界そのもの

円環の理

「これこそが人間の感情の極み…希望よりも熱く、絶望よりも深いもの…!愛よ!」(暁美ほむら)

こんにちは、皆さん!

今日は、年に一度のバレンタインデーです。皆さんは、ワクワクしていますか。今週のテーマは「愛」です。あらためて「魔法少女まどか☆マギカ」のキャラクターを分析して、愛について自分の考えを書きます。

まど☆マギは、暁美ほむらが鹿目まどかを酷い運命から救うため、何度も時間を繰り返えさせるという物語です。最初、二人は普通の友達でしたが、段々親友になりました。神になったまどかは自分のリボンをほむらに渡しました。いつの日かまた会えるはずですから、その日までこのリボンを大切にして待ってくださいと言いました。神は別の次元に行かなければいけませんでした。しかし、ほむらはこの結果をうけいれようとしませんでした。神になったまどかは自分の生活、友達、そして家族までも犠牲にしなければなりません。人類を救うために神の責任を負う運命は残酷です。その後、ほむらは神のパワーを盗んで新しい世界を作り、まどかと彼女の家族や友達を招き入れました。そして、その幸せの世界にまどかを永遠に住ませるつもりです。ほむらのいる世界で人間はもう神の救済を受け取れませんから、ほむらは自分で悪魔の役を引き受けました。まどかさえ幸せになれば、人類の救済を犠牲にすることも構わなかったです。ほむらにとって、これこそ愛という感情です。

皆さんはプラトンの饗宴という劇を見たことがありますか。この劇の中で、登場人物たちは「愛とは何か」という問題について弁論しました。弁論の途中、アルキビアデスが乱入しました。彼は酔っ払ったまま自分の恋人に告白しました。アルキビアデスにとって、愛というものは理不尽なことで、理性がいりません。こんな弁論も意味がありません。アルキビアデスの姿は恋に落ちる人の様子そのものです。他の人たちの気持ちを全然考えていません。ほむらの強引なやり方もアルキビアデスと同じです。冷静な判断ではなく、心の感じだけです。

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは愛が狂気だと言いました。人間はもともと理性的な者ではなく、狂気もすべて悪ではないと思います。自分が愛している人のために世界の全てを捨てるという物語は皆さんがどう思いますか。ロマンティックだと思うのでしょうか、それとも戦慄を覚えるものでしょうか。

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