「私が唯一知っていることは私が無知であることだ」(ソクラテス)
皆さん、クオリアという概念を知っていますか。説明することはとても難しいですが、今週のテーマと関係があります。この概念を使って、「沙耶の歌」という作品、とりわけ知覚の主観性について書きます。

クオリアの別名は感覚質です。クオリアは「感じ」そのものであり、主観的に体験する物質です。例えば、「空のあの青々とした感じ」。「感知」は感じる人にしか分かりません。客観的な青は、ただ光の波長です。人間の感覚によって青の感覚質は違います。私にとっての赤は、あなたにとっての青と同じ感覚質かもしれません。他人の感知を感じすることは不可能です。郁紀にとって「沙耶はクトゥルフ神話の神だ」という客観な記述は主観的な偽言に過ぎません。客観的な現実が存在していないという結論になると思います。
目の前の物、耳に入った音、美味しい飲み物の味は、本当に存在しているのでしょうか。答えは簡単に得られません。他人の感知を感じすることは不可能なため、証明できません。周りの世界、「美」という概念、そして人生の全部は、すべてただ自分の脳裏にあるものなのです。
円環の理さんのブログから読むまでは、クオリアという概念を知らなかったです。クオリアはわかりにくいですね。「客観的な現実が存在していない」って私もそう思います。
返信削除「沙耶の唄」のシナリオライターは「魔法少女まどか☆マギカ」と同じ虚淵玄さんと知っていますか。虚淵さんはオリジナルなテーマを書くことの天才ですね。
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