2017年2月6日月曜日

目の前に何もありません

円環の理

「私が唯一知っていることは私が無知であることだ」(ソクラテス)

皆さん、クオリアという概念を知っていますか。説明することはとても難しいですが、今週のテーマと関係があります。この概念を使って、「沙耶の歌」という作品、とりわけ知覚の主観性について書きます。

「沙耶の歌」の主人公匂坂郁紀は交通事故に遭いました。後遺症が残り、郁紀は視力を失いました。郁紀を救うために、医者たちは実験的な手術をしなければなりません。しかし手術の結果、知覚障害が起りました。郁紀にとって、周りの景色はすべて豚の臓物をぶちまけて塗りまくったものになりました。人間もおぞましい肉塊になりました。この障害のせいで、郁紀は周りの人々を避けました。郁紀には友達がいなくて、だんだん暗い人間になりました。でも、ある日郁紀は凄く綺麗な女の子に出会いました。他の肉塊みたいな人間と違い、普通の人です。郁紀はこの「沙耶」という女の子と友達になり、さらに恋人になりました。実は、この沙耶はラブクラフトクトゥルフ神話の神です。郁紀は知覚障害のため、沙耶が普通の人間のように見えました。沙耶は郁紀の精神的な支えになりました。この真実を知ってからも、郁紀は沙耶のことを諦めませんでした。友達、家族、そして隣人まで失った郁紀は、沙耶のことだけ大事にしていました

クオリアの別名は感覚質です。クオリアは「感じ」そのものであり、主観的に体験する物質です。例えば、「空のあの青々とした感じ」。「感知」は感じる人にしか分かりません。客観的な青は、ただ光の波長です。人間の感覚によって青の感覚質は違います。私にとっての赤は、あなたにとっての青と同じ感覚質かもしれません。他人の感知を感じすることは不可能です。郁紀にとって「沙耶はクトゥルフ神話の神だ」という客観な記述は主観的な偽言に過ぎません。客観的な現実が存在していないという結論になると思います。

目の前の物、耳に入った音、美味しい飲み物の味は、本当に存在しているのでしょうか。答えは簡単に得られません。他人の感知を感じすることは不可能なため、証明できません。周りの世界、「美」という概念、そして人生の全部は、すべてただ自分の脳裏にあるものなのです。

2 件のコメント:

  1. 円環の理さんのブログから読むまでは、クオリアという概念を知らなかったです。クオリアはわかりにくいですね。「客観的な現実が存在していない」って私もそう思います。

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  2. 「沙耶の唄」のシナリオライターは「魔法少女まどか☆マギカ」と同じ虚淵玄さんと知っていますか。虚淵さんはオリジナルなテーマを書くことの天才ですね。

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