2015年10月29日木曜日

言語を勉強しようと思った理由

エドです

8歳になったとき、両親の仕事で家族はヨーロッパのアイルランドに移住することになった。そのとき、アイルランドにはアジア系の人が少なく、フィリピン人は全然いなかった。それで、フィリピン人である私にとって、その移住は大変なことだった。

アイルランドに行って初めていじめに遭いました。アジア人さえ珍しいため、私は目立っていた。髪の色が黒で肌の色が黄色、典型的なアジア人の要素を持っていたのだ。そのため、周りの人に一日たりとも好奇な目で見られない日はなかった。ほぼ毎日そのような視線に囲まれて、精神的に疲れた。

外見による差別はまだしも、暮らしでの違いもあった。フィリピンでは学校の休憩時間にほとんどの学生が家から弁当を持ってきて食べることになっている。アイルランド人は米を食べないので、弁当を持っていた私を見ると、みんな変な顔をしたり、笑ったりした。それに、弁当の匂いも文句の的となった。なので、私は米が大好きなのに、みんなと同じようにしてパンなどを持って行くことにした。ぜんぜん口に合わなくて休憩の時間に何も食べない日がときときあった。

言語も問題になった。フィリピンではみんな幼いときからずっと学校で英語を習っていたのだが、その英語はただ書いたり読んだりするだけで、それに発音や話す速度、話し方などは、アイルランドの英語とは全然違っていた。アイルランドの英語はイギリスの英語とは近くて、銃を撃つみたいに言葉をざざっと言い投げる人が少なくなかった。そのため、アイルランドの英語は聞き取りづらくて、最初のころは全然分からなかった。さらに辛いことに、友達という存在になってくれる人がせっかく見つかっても、言語の問題で彼らのやり取りについていけなくて、なかなか自分の言いたいこと、自分の感情を伝えられなくて、友達でいてくれてありがとうさえ言えなかった。誰かがジョークを言ってみんなが笑ったら、自分だけが意味不明で水を差すようなことをしないように一応笑うことにしていた。

et07_4言葉の壁が一番辛かったかもしれない。アイルランドの特徴的な英語を聞き取れるようになったときに、さらに悔しい問題にぶつかった。友達と会話をするときに、みんなを笑わせようとして自分がここで何か面白いことを言おうとしたら、頭の中で言葉を探しながら文章を作っているうちに、話題がもう済んで違う話題になったりした。

それから数年経ち、フィリピンからの移民が増えてきた。そこで状況がよくなるかと思ったら、実際はそうでもなかった。同じ国同士の人といえども、必ず共通の言語でコミュニケーションが取れるわけではない。フィリピンには多くの島があって、それぞれ違う方言がある。私の生まれた島ではVisayaという方言を使い、フィリピンの標準語(Tagalog)とはまた全然違う。標準語しか喋れない人によく会った。その標準語はフィリピン人が必修として高校生卒業するまで勉強することになっていたのだが、8歳からアイルランドに移住した私には、勉強する時間が少なかった。テレビでは標準語が使われているから、大体聞き取れるけど、喋ることは少ししかできない。なので、フィリピン人の友達と遊んでいるときでも自分の気持ちを表現することができず、いつも聞いているだけでいた。

アイルランドに住んだときのことをこういう風に並べてみると、大変なことばかりだったように思われるかもしれないが、いまから思うと、じつはかけがいのない経験だった。それを通して学べたことが色々あって、人生をもう一度やり直せるなら何も変えず同じ道を選ぶに間違いない。その経験があったからこそ、人生は甘いものじゃないと小さいときから分かったし、恵まれているときはより大切にすることができるようになったのだ。自分の個人性を自覚しながら、言語の重要さを忘れずにがんばってきた。そして、最後にこの思いを記しておきたい。「言語がなかったら、人は誰かとしゃべることも互いを理解することもできない。言葉がなければ、人間は望みや目標を共有したり、歴史を理解したり、詩や音楽を楽しんだりすることもできない。」

2 件のコメント:

  1. エドさんアイルランドへの移住大変でしたね。私はカルガリーに初めて来た時、アジア人の少なさにびっくりしました。アジア人が少ないから、アジア系の文化や店が少ないのがとても不満です。でもエドさんのエントリーを読んで少し反省しました。これから文句を減らさないと!

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  2. 長い文章ですね。多くの国々に行った様です。 選んだ写真は面白く、ヨーロッパでの経験は面白そうです。今年の夏、私の家族がアイルランドに行ったし、楽しそうでした。 今のわかった言語以外の外国語を勉強するつもりですか? よく書きました。

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