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2015年12月3日木曜日

冒険は毎日続く

カルマン

高校の時から、私は日本語を習いたいと思っていました。あの時に比べて、いまは精神的に成長したような感じです。e1辞書を使って勉強してみた時、未来にできることについて考えてもおらず、日本に行きたかったですが、留学する機会があるとは知りませんでした。専修大学や創価大学での経験に恵まれて、私はびっくりし、うれしかったです。大学生としての達成を実感し、本当に幸せです。

大学に入った時、日本語以外にもう一つ外国語を取る必要があり、選んだのは中国語でした。初めて勉強した時、とても不安でした。でも、難しくありませんでした。私は中国語の四声を早く覚え、漢字を書くことが好きなようになりました。中国語で使った漢字の一部が日本語ですでに覚えたので、理解することが簡単でした。あの時、私は同時に日本の文化の授業を取っており、最初は少し難しかったです。日本の文化の授業を取る前、日本に興味を持っていたので、この違いは意外だったと思います。

中国語を勉強したおかげで、私は多くの友達を作ることができました。日本で中国人の友達と出会う時、私は中国語で話しかけ、彼らはびっくりしました。私も時々、アルバイトで中国人の顧客に会い、中国語で声を掛けたりしました。マウントロイヤルからの中国語の先生が私のアルバイトの店にやってきた時、中国語で応対しました。言いたいことがはっきりと伝わり、うれしかったです。しかも中国は今、経済的に強くなっているので、中国語が話せると、便利です。学生として二つの言語が話せるようになったので、大きく成長出来たと思います。

e2e3もう一つの自慢は、新しいことの覚え方です。日本語と中国語以外の授業を取ったとき、私は自分のノートに漢字で書いたり、英語の言葉をカタカナで書いたりします。このやり方を使うと、覚えることは難しくなく、いい成績をもらうことができるようになりました。

カルガリー大学からすぐ卒業します。私は未来のことについて考えています。JETに申し込みました。もし選ばれなければ、私は自分で日本に行くつもりで、英語を教える機会を見つけたいのです。2020年のオリンピックに翻訳者として参加することが、わたしの夢です。

2015年11月26日木曜日

日本のホームレス

カルマン

日本は先進国ですが、それでも問題があります。その一つは、ホームレスです。インターネットで近年のデータを調べると、この問題はバブル景気のあとから多くなり、日本の豊かさについて考えさせられます。

今年の春、私は東京の上野公園で街頭インタービューを受けました。そこで、近くの人を指して、かれらはホームレスの人だと教わりました。その人たちは平和に生活しているように見えたので、私は気づいてびっくりしました。記者は、同じような問題がカナダにもあるかどうか私に聞きました。そしてさらに、「日本は豊かと思いますか」と聞かれました。私はそう思いますが、ホームレスの問題は日本にもあるので、私は悲しく感じました。しかし、私には、ただ悲しみだけではなく、ホームレスへの対応がとても日本的だと思いました。そこで、ホームレスに対する普通の人々の行動について考え始めました。

カナダのような国々では、ホームレスの苦しみを見れば、平和な感じはありません。日本では、多くの人々はホームレスの人を手伝おうとしています。カナダでは、このような試みは多くないので、日本の文化的な特徴の一つだと思います。

en11-3または時々、 私は新宿駅でホームレスの人を見かけます。カナダのような国と違って、彼らは周りの人々と距離を持ち、問題を起こす感じはありません。夜になると、ホームレスの人たちは屋内で眠ることさえ許可されてます。シェルターを見つけることも、日本人のホームレスにとって簡単そうです。逆にカナダでは、ホームレスは必ずしも助けられるとは限りません。カルガリーでは、ホームレスがシェルターに入れなくなると、外で眠らざるをえないかもしれません。このような違いを見ると、文化の違いだと思います。

もう一つの例は、東北大震災の後の福島にある状況です。多くの人が家を失いました。2013年12月の新聞によると、ヤクザがホームレスに福島第一原子力発電所の救援を手伝わせるとありました。しかしながら、ヤクザは約束したお金を払いませんでした。外国人の視点から考れば、ヤクザが手伝わせることは不思議ですが、しかし日本人が注目したのは、未払いという犯罪の行為です。

2015年11月19日木曜日

東日本大震災の影響

カルマン

2011年3月11日、大きな地震がありました。この地震には「東北地方太平洋沖地震」という名前が付けられ、日本の歴史上で最強の地震でした。この地震の影響は今でも残っています。とくに福島県にありますが、2011年の夏東京に行った時、この影響の一部を経験しました。地震への対応において日本文化の要素が現れ、日本語の学生としてわたしはそれを調べてみました。

カナダでこの地震のことを聞いた時、私は怖く感じていました。日本に行く予定がありましたが、行けるかどうか分からなくなりました。しかし時間をかけてインターネットで新聞を読み続けているうちに、日本の社会が回復するために動いていることが分かり、日本への心配がなくなり、日本人の文化的な性格がよく見えるようになりました。

例えば多くの省エネルギーの行動が起こりました。デパートでは、エネルギーを節約するために一部の電気を消しました。2011年の夏に東京を訪ねた時、ほとんどのところは普通のように見えていました。ただ電車に乗ったら、電気が普通より暗かったです。電車の中で、音楽が聞こえなくなり、それも省エネルギーの一つだとすぐ気づきました。

もう一つ注目すべきことは反原発抗議です。その時、私は新宿に泊まっていて、反原発抗議をじっさいに見ました。インターネットのニュースサイトを引用すると、抗議は同時に大阪、広島と福島にもありました。一部の抗議者は仮面を被っており、英語で書いたサインを掲げていました。そのサインには、外国への謝りが書かれていました。抗議のデモのサインに謝罪を書くのは、少し珍しかったです。

en10-3今年の冬、私は東京の八王子でほかの反原発抗議運動を見ました。今回のは、夜に行ったデモ行進でした。これを見て、あらためてびっくりしました。参加者のサインを読んでみて、抗議運動の理由が分かりました。カナダのようなところでの抗議運動に比べると、原発への怒りは見えますが、人々はどうも無表情です。無表情は日本文化の特徴の一つです。逆に西洋にある抗議運動では、人々はオーバーに怒って、一部は攻撃的です。それは西洋に限らず、東アジアの一部の国々においてもあります。抗議の行動にも文化的な特徴が見られると思います。

2015年11月12日木曜日

宮崎駿の映画

カルマン

日本語を勉強しているうちに、私は宮崎駿監督の映画に興味を持ち始めました。日本からのアニメなので、もちろん好きです。大学生としての私はジブリの映画を調べたくなりました。3年前、私は日本語の授業で宮崎駿映画のテーマについての作文を書き、意外に奥の深いテーマを見つけました。このテーマを研究しながら、多くの文化的なことが理解できるようになりました。

宮崎駿の映画を観る時、私は物語の舞台に注意を払います。日本の文化では、自然が多く使われ、大切なテーマです。宮崎駿の映画の舞台は自然に近い傾向があります。2008年のインタビューを引用すると、今の社会で多くの子供はビデオゲームとか漫画などに夢中して、自然に興味を持たなくなったということで、宮崎の世界観は非常に悲観的です。日本語の学生として宮崎駿の映画を観る時、ただの娯楽ではなくなりました。映画から得られるのは新しい言葉に止まらず、文化的な影響も大きいです。そのため、私は日本でジブリの施設を訪ねるようにしました。

去年、「ジブリの立体建造展」という展示がありました。この展示は、ジブリ映画の中の景色を再現し、映画のデザインの絵を壁に掛けました。自然が宮崎駿の映画で大切なのだと同様に、場所は普通の美術館ではなく、「江戸東京たてもの園」でした。この公園にはゆたかな自然があり、歴史的に有名な建物のレプリカもあります。好きな映画からの展示と日本の自然を同時に経験できたので、日本の文化の側面がより分かるようになった感じでした。

en9-6白髭のシュークリーム工房は下北沢にある喫茶店で、トトロのキャラクターの形をしたシュークリームが売られています。あの有名な「ジブリ美術館」と違って、コンビニでチケットを買う必要はなく、普通のレストランです。しかし注目すべき特徴は、喫茶店が自然の近くにあることです。これはけっして偶然ではなく、文化的な影響の現われです。初めて行った時、あまり深く考えていませんでしたが、いま思い出すと、日本文化の大切な特徴が隠された感じです。私は、ジブリの映画を通じて、興味と研究が繋がり、幸せに感じます。人間として成長できたと思います。

2015年11月5日木曜日

日本史跡への旅行

カルマン

私は日本の文化について多くの興味を持っており、一つの例は史跡です。ここ数年、私は歴史的に大切なお寺を訪ねるようにしています。これらの史跡を見ると、文化的なことを経験し、歴史について習うことができます。そのため、自分が日本の文化を学習する学生として成長したように感じます。

例えば京都では、多くの有名な史跡があり、よく知られる一つは二条城です。二条城は1626年に造られました。徳川幕府の城なので、多くの歴史的な遺産があります。二条城に入ると、絵を描くことも写真を撮ることも禁止され、注意する必要があります。しかし二条城の中では、徳川時代の生活の様子が見られます。二条城を見学して、観光客が日本の歴史の一部を経験し、多くの知識が得られるかもしれません。

また、京都に行く時、私は毎回お寺を訪ねます。初めて京都に行った時、お寺の歴史がまったく分からず、ただ見るだけでした。しかし大学で歴史のことを勉強して、いろいろな知識が得られました。そのため、日本的な視点で考えることができました。初めて京都に行った時、金閣寺だけ見ました。今年は銀閣寺にも行きました。お寺の歴史を知ったうえで訪ねると、ただの観光ではなく、多くの教養を身につけることができます。

私が訪ねたお寺は、京都にあるものに限らず、奈良の東大寺にも行きました。東大寺の近くにある公園では、鹿がいて、平和な雰囲気です。このen8-7ような環境では、瞑想に耽る気持ちがあり、伝統的な生活と現代の生活を同時に経験できます。東大寺は現在の社会にあって、自然との調和が取れていて、日本文化の特徴をよく表しています。

もう一つの史跡は、大阪城です。大阪城は安土桃山時代に豊臣秀吉によって造られました。2008年、2009年、それに今年の2015年、わたしはあわせて関西に三回行きました。カナダで日本の歴史の授業を取った時、安土桃山時代について勉強しました。大阪城に入ると、安土桃山時代からのものが展示され、しかも写真を撮ることができます。安土桃山時代の戦いのレプリカがあり、歴史の説明が壁に掛かっています。このような城やお寺は、日本の歴史を経験する場所であり、学生としての私にはとてもありがたいです。

2015年10月29日木曜日

仏像との経験

カルマン

2014年の冬、私はカルガリー大学で日本芸術の歴史の授業を取り、歴史の大切さについて習いました。授業の内容の大半は仏像で、日本の芸術に興味を持ち始めました。創価大学で奨学金留学をしているうちに、これらの仏像の一部を実際に見ることができました。それを通じて、日本文化の大切なことを経験しました。

まずは授業や宿題がなかった時、私は上野にある東京国立博物館に行くようにしました。冬には、仏像の展示がありました。写真を撮ることははもちろん禁止されていました。しかし写真を撮らなくても、仏像を見た後の感じは、深くて面白かったです。私の一番好きなのは北日本からの仏像でした。授業で見た仏像と対面した時、幸せな気持ちがいっぱいでした。大好きな仏像の一つは、室生寺の薬師でした。

春休みの終わりが近づいたころ、私はもう一度東京国立博物館に行きました。インドの仏像の展示がありました。今回は、仏像だけではなく、仏教歴史の説明もありました。この説明を読むと、宗教としての仏教の発展がわかるようになります。カナダでインドの仏教を勉強した時、インドからの仏像を見たことがなく、このような機会について考えてもいませんでした。

et07_5私が尋ねた美術館は国立博物館に限らず、青山にある私立の根津美術館にも行きました。根津美術館では、禁止されるのはフラッシュ撮影であり、普通の写真を撮ることが許可しています。これは多くの美術館と違います。そのため、私は玄関にある仏像の写真を撮りました。菩薩像を見てから、私は根津美術館の外にある公園に出ました。この公園には多くの仏像が飾られており、大半は地蔵の石像です。多くのほこらがあり、その中に仏像が入っています。これらのほこらを見ると、仏教と神道の関係が理解できるような思いでした。

そのような場所にいたら、文化的で精神的なことを同時に経験することができます。日本の文化において、自然との調和が重要視され、仏像は精神的なことを表しています。このような機会を経験して、精神的に成長したように感じました。本当に幸せです。

2015年10月22日木曜日

ホームステイの思い出

カルマン

2013年の春、交換留学プログラムに参加した時、一つの貴重な経験はホームステイでした。ホームステイは三日間だけでしたが、多くの思い出を作りました。この思い出は私に非常に大切であり、忘れられません。ホームステイは日本の文化や生活を体験する良い機会だと思います。

entry6-3まずは、これまで人の家に泊まったことがなかったので、ホストファミリーに怒られる恐れがありました。例えば敬語や丁寧語を使う必要があり、一つ大切なのは代名詞の使い方です。自分を「俺」と呼び、ホストファミリーの人を「あなた」と呼ぶと、失礼として見られます。そのため、私はホームステイの前に話し方を練習しました。ホームステイの時より一年ほど前、敬語や丁寧語を初めて習い始め、覚えるのは大変でした。しかしよく練習すると、すこし覚えられるようになりました。ホストファミリーとじっさいに会話をして、日本語に自信感を感じて、交流がなんとなくできました。この関係は会話だけに限らず、文化的な側面もありました。

話し方以外の心配は、ホストファミリーの習慣を知らないことでした。例えば食事をする前、「いただきます」と言わなければなりません。これを覚えておくと、心配がなくなり、文化について自信が出てきます。私は、日本語を読んで、いつもその表現の「含み」のことが理解できません。それについて話したら、ホストファミリーのお母さんは詳しく説明してくれて、おかげでその大切さに気づきました。会話を練習した時、ホストファミリーの母親はわたしの上達にびっくりしました。

また、ホストファミリーの父親は私に英語で書いた文章を訂正するように頼みました。その過程で、人に言葉を教えることを経験しました。将来、私は日本に住み、英語の先生か文学の翻訳家になりたいです。ですから、この経験はとても大切です。ホストファミリーにお手伝いすることができて、幸せでした。

あのホームステイの時から、日本に行けば、必ず会うようにしています。今年の冬休み、私たちは温泉に行きました。私は創価大学の名前が入っているセーターを彼らに見せて、ニックネーム「カルマン」の由来を説明しました。あの時、精神と文化理解においての成長を同時にホストファミリーに見せることができました。ホストファミリーとの経験を思い出すと、自信が出てきて、友情のような気持ちも感じます。そして、それと同時に、自分の成長を実感できました。

2015年10月15日木曜日

創価大学

カルマン

去年の春、私は日本の文部科学省奨学金を与えられ、夏から創価大学に留学しました。10カ月にわたって多くの面白いことを経験し、日本文化の知識を学ぶと同時に、精神的に大きく成長できました。そのため、創価大学での留学は非常に大事な経験だと思っています。

まず多くの留学生と友だちになりました。みんなは多くの国々から集まり、中には中国からの留学生もいて、わたしは中国語と日本語を同時に練習することができました。他には、アメリカ、オーストラリア、英国とロシアなどの国々からも来ていました。これらの友だちと一緒にいた時、連帯感を感じ、社会的共同体は日本文化の大切な一面です。創価大学には、「Let's unite! We are Soka Family!」というスローガンがよく聞かれます。

e5-4留学が始まってまもないころ、「記フェス」(「記憶に残るフェスティバル」)というダンスフェスティバルがありました。練習会には参加しましたが、はたして自分が踊れるかどうかまったく分りませんでした。しかし回を重ねるうちに、自信が出てきました。これまで踊ったことがなかったので、私でもびっくりしました。この自信感は「記フェス」に限らず、授業の時にもありました。

創価大学での授業、全部日本語で行いました。授業の時だけでなく、毎日はほとんど全部日本語で話していました。分からない言葉を聞いたら、私は携帯の辞書アプリを使って言葉の意味を見つけ、ひとつずつ覚えていきました。日本語を習いはじめたころ、私はYoutubeのビデオや映画の字幕にばかり頼っていました。当時、自分には留学ができると考えてもいませんでした。昔に比べると、今の私をほこりに思っています。

もう一つは、私のニックネームの由来です。授業の始め、留学生がニックネームを使うように言われ、私が選んだのは「カルマン」でした。「Calgary man」を日本語で発音すれば、「カルガリー・マン」であり、「カルマン」に短縮しました。しかも「ン」を消せば、「カルマ」です。私は仏教に興味を持ち、「カルマ」は仏教の大事な概念の一つです。仏教の影響があるので、このニックネームには、精神的で文化的な大切さがあります。精神的なのは仏教との関係であり、文化的なのはカナダとの関係です。私は今、創価大学からの友だちとよく連絡するようにしています。そうすると、幸せを感じます。

2015年10月8日木曜日

日本の犯罪と治安

カルマン

多くの東アジアの言葉では、「四」は「死」と同じ発音なので、不吉だと考えられています。そのため、私は犯罪を第4話のテーマとして選びました。インターネットのデータを読むと、日本では、犯罪は非常に小さい問題であり、カナダのような国々に比べると、社会の文化的な違いが見られます。

例えば自転車で電車駅に行くと、大きい駐車場があります。駐車場に自転車を残す時、小さなロックを使い、バイクロックのような頑丈なものを使いません。しかも、日本の自転車にはたいてい造り付けのロックがあり、それを使うと、別にロックを用意する必要もありません。買い物のときなども、店の外に自転車を残しても安心です。人びとは犯罪のことを心配しません。この治安の良さは日本社会の特徴だと言えます。

逆に、カナダに帰った数週間後、私はレストランの外に自転車を残し、念のためにバイクロックまで使いました。しかし一時間の後、なんと盗まれてしまいました。私はカルチャーショックのような気持ちを感じ、多くの人たちが社会秩序を保つようにすれば、犯罪は問題にならないかもしれないと思いました。

もう一つの文化的な違いの例は、忘れ物のことです。

ESS-11日本では、物をどこかに置き忘れても、盗まれる心配はありません。今年の夏、私は汐留駅のスターバックスにカメラを置き忘れてしまい、お台場に着いた時まで気づきませんでした。そこで、私はさっそく汐留駅に戻りました。スターバックスのバリスタに尋ねたら、わたしのカメラはしっかりと忘れ物の所に戻され、簡単に返してもらえました。このようなところには、日本人の正直さが現われています。2003年の研究によると、東アジアの文化では、人びとは他人を同じ社会集団のメンバーだと考えます。この無我的な行動は、儒教からの影響だとされています。カナダでは、忘れた物を見つけることは難しく、正直な行動はむしろ珍しいと言えるのかもしれません。

もう一つの文化的な違いは犯罪者の行動です。最近の新聞によると、ヤクザ同士の戦いが起こる恐れがあります。日常生活では、ヤクザが同じ場所にいても、彼らを挑発しなければ、ヤクザは普通の人々になにかをし出すことはありません。これに対して、西洋の国々の犯罪者は、普通の人に対して挑発したり攻撃したりします。西洋人の目には、ヤクザからの犯罪が少ないことは不思議であり、日本人からすれば、むしろヤクザ同士の戦いが心配です。このような事実から、犯罪と治安についての違いが分かります。東京のように大きい町に住んでも、安全な気持ちを感じながら生活できます。

2015年10月1日木曜日

文学の翻訳

カルマン

日本語を勉強して、好きなことのひとつは日本語の小説を読むことです。時間とともに私の日本語力が上達し、日本語で本を読めるようになるという夢をすこしずつ実現してきました。映画を観たあと、同じ話の小説ですと、内容は簡単に分かります。また、日本語に翻訳された西洋文学を読むのが好きです。日本語訳を読むと、翻訳が文化的に適切することの大切さを教えてくれます。

entry3-3例えば「ハリーポッター」シリーズの日本語訳では、登場人物の話し方が人物や状況によって違います。注目すべき一人は校長のアルバス・ダンブルドアです。彼は自分のことを「わし」と呼び、現実の会話では、この代名詞は男性しか使いません。第6巻「謎のプリンス」では、悪役のトム・リドルの過去を説明する時、ダンブルドアは「進まねばなるまい」と言います。日常で言う「なければならない」の代わりでしょう。日本人の語感から、この書き方は老人のダンブルドアを写し出し、日本語を習っている読者に話し方の違いを具体的に見せています。

このような例は、ハリーやその友だちと先生との間の会話にも見られます。ハリーたちは丁寧語で話します。英語版では、彼らが聞き手を丁寧な代名詞で呼びますが、それ以外話し方の違いはありません。だが日本語の読者からすれば、「ます」形の使用は話す相手の権威を伝え、文化的に大切なものです。日本の文化では、丁寧な行動は要求され、話し方の違いは英語よりはっきりし、文章を書く時に適切に表現しなければなりません。

日本語訳の「オズの魔法使い」も読みました。主人公のドロシーと出会った時、魔女グリンダが丁寧語や敬語を使い、威厳と礼節は同時に描かれています。しかし英語版を見ると、グリンダの話し方から威厳は見られますが、ほとんど普通の英語です。ドロシーとかかしに助けられて、ブリキの木こりは丁寧語でお礼を言いましたが、だんだん親しくなってから、普通の日本語でしゃべるようになりました。身のまわりの日本人の友だちからは、たしかにこのような行動が見られます。

私は日本に住み、翻訳者になりたいと思いますので、西洋文学の日本語訳を読むことはとても大切だと思います。前は特定の状況での適切な話し方を覚えるために苦労しましたが、今はだいぶ覚えやすくなりました。小説で読んだ書き方や話し方を味わい、翻訳のための文化的な含蓄に注目し、それを伝えるために努めたいです。

2015年9月24日木曜日

慎重な消費

カルマン

創価大学での留学の一年間、私は物を持つことの負担を実感し、もっと簡単に生きてみなければならないことに気づきました。10ヶ月にわたって、私はずっと同じ小さな部屋に住み、必要な物しか持てませんでした。これを経験し、私はいろいろ考え始めました。カナダでは、だれでも広い家に住み、非常に多くの物を持っています。唯一の心配は物を買うためのお金です。なにを買っても、それを置くためのスペースで苦労することはなく、買い溜めすることがつい習慣になったのです。
 
これに比べて、日本の一般的な家を見ると、使えるスペースはほとんどなく、不要なものを置くところはそう多くありません。わたしは、実際の経験からこのことに気づきました。日本で買ったものの大半は本であり、どれも本当に欲しいものばかりでした。カナダに持ち帰られるように、すべてを一個のスーツケースに入れられるようにしなければなりませんでした。カナダに帰る前、私はこのことについて、ホストファミリーのお母さんに話しました。彼女の説明によると、多くの日本人が本を買うと、それをずっと持っているのではなく、一回読んだら、それを売ったり、捨てたりします。そのため、多くの面白い古本屋があり、有名なのはブックオフです。

entry2-5ブックオフに入ると、棚はきちんと整えられており、客が通路で立ち読みすることを楽しんでいます。ブックオフで買えるものは本に限らず、CDやDVDなども売っています。一部の店には、昔からのビデオゲームまで置いてあります。どの店にも、「読み終わったらお売り下さい」というポスターが貼ってあります。これには、まさに慎重な消費主義が見られます。
 
このような消費の精神は、近年、近藤麻理恵さんが書いた「人生がときめく片づけの魔法」を通じて有名になりました。近藤さんが強調したい大切な概念は、所有物を整理し、本当に必要なものを決めることです。言い換えると、近藤さんは人びとに物の価値を考えさせるつもりです。近藤さんが書いた考えによると、私たちが持つべきものは、自分に価値があり、幸せな気持ちを感じさせてくれるものだけです。このような概念は、同時にとても実用的で、私は強く共感します。カナダで生活するわたしは、日本に住んでいた時のように少ない物を所有し、幸せに生きるようにしたいと思います。

2015年9月17日木曜日

冒険の始まり

カルマン

12歳の時から、私は日本に興味を持ち始めました。中学校の間、あまり時間がなく、日本について勉強することができませんでしたが、高校生になってから日本語を学ぶことにしました。本屋で買った辞書を買い、勉強してみました。漢字を覚えることが好きでしたが、そのうち、大切なものを見逃したことに気づきました。日本語の大切な一部分であるひらがなでした。それの書き方や発音を覚えてみると、漢字も非常に覚えやすくなりました。

ViewAttachment (2)2008年の夏、高校を卒業し、一人で日本に行きました。私の家族には、日本のように遠い外国に行った人は一人もおらず、非常にユニークな経験でした。あの時、日本語をほとんど知りませんでしたが、それでもなんとか対応できました。私は、日本語の本を買い求め、少しずつ読んでみました。その中の一冊は「ハリーポッター」でした。自分がよく知っている内容だと、日本語で読んで読解できました。その時から、日本語を流暢に読めるように毎日努力を続けました。今、あの時のことを思い出しますと、自分の読書能力がかなり上達したと感じています。

最初の東京は、英語を話せるツアーガイドに頼まなければなりませんでした。東京のような所では、観光客が一人でいると、すぐ道を迷ってしまいます。しかし大阪に行った時、手に持った地図だけで大阪城やユニバーサルスタジオジャポンを見つけることができました。非常に自信になりました。

2008年から今まで、私はお金を節約して年に一回必ず日本に行きました。これらの旅行の経験は、非常に大切です。さらに専修大学で一ヶ月の留学に参加し、奨学金をもらって創価大学で一年間勉強することができました。非常に幸せです。私は日本の多くの場所を尋ね、毎年の旅行は私に日本の文化、言葉、それに日本の精神についてたくさん教えてくれました。私の日本語能力が少しずつ上達し、一人の人間として成長しました。去年、創価大学の授業を取っていた間には、両親が私に日本語で考えられるかと聞きました。時々そうだったのだと気づいて、びっくりしました。